プロフィール

美山米パン吉之丞も、吉之丞米も

バブル世代の僕と氷河期世代の相方と二人三脚でやっています。

 

吉之丞でやってきたこと、これからやって行くことは

自分一人では何一つ出来ないこと、特に相方の存在なしでは1ミリも形にならなかったことは

自分が一番よく解っています。だから相方のことも一杯書きたいけど、

それを好まない人なので、僕のことを書きます。

 

 

中野吉之丞(なかのきちのじょう)

 

1966年3月生まれ 

 

バブル世代です。

 

結婚は早かったけど転職も一杯しました。

離婚もしました。

 

最初の就職先は日産自動車の営業マン。

その頃、世の中は昭和から平成に。

車はファミリーカーよりも高級車のシーマ(今はもう無いのかな)

セドリック、スカイラインGTR、フェアレディーZなどの500万円クラスの

車がどんどん売れていく時代でした。

 

次の就職先は大阪梅田にある広告代理店の営業マン。

仕事は面白かったけど毎日残業がすごかった。

終電も乗れない残業の時は、会社のある梅田から当時住んでいた京都市内まで

タクシーで帰ることも数えきれないくらい(勿論会社の経費ですけど)

 

そのあとは、歩合の高い(中にはフルコミッションの会社もあった)

様々な訪問販売の営業を経験する。

 

最後のサラリーマンは20代後半までの建築リフォーム業。

これも営業マンでした。

 

家庭を持ってるのに転職を繰り返していましたが

時代が良かったのと、滅茶苦茶頑張ったこともあって

最初の車の営業以外は、ほんとんどの会社で上位の成績を残せました。

歩合が高いこともあって、給料は20代後半で1000万円前後の年が

数年は続きました。

 

それでも転職を繰り返したのは、とにかく心が苦しかったから。

毎日が社内競争で、心がすり減っていくのを強く実感していました。

結果が全て!負けたら惨め!

結果が出せずに辞めていく営業マンを何人も見て来ました。

その恐怖が、モチベーションだったのが、僕のサラリーマン時代です。

 

チキンな僕には、そんなストレスが耐えられず、

30才の誕生日の目前に、自営業をすることに決めました。

正直、相当びびってました。

今度の恐怖は人に負ける恐怖ではなく、

ちゃんと家族を養っていけるの?というシンプルな恐怖です。

サラリーマン時代の給料が良かったので、生活レベルが自然に上がり

毎月、最低50万くらいはないと生活出来ないと思っていました。

 

お金のことを考えて選んだのは、建築リフォーム業の自営業。

株式会社でも有限会社でもない個人の屋号の名刺を持って

知らないお客さんのところに営業に飛び込みます。

 

今でも不思議なんですが、それでも結構仕事がとれました。

僕は営業で職人仕事が全く出来ません。

なので、請け負った仕事は、下請けの業者さん(友人の工務店など)

にキレイに丸投げです。

 

生活レベルは自営業になっても高かったです。

でも心はいつも苦しかった。

俺の仕事の意味って何やろ?

俺っている?

 

下請けさんが直接お客さんと繋がった方が、

俺のマージンが無い分、遥かに安いし

しかも職人さんの方が遥かに建築知識あるし。

俺のポジションって必要?

お金の為だけに仕事してるん?

 

またまた心が彷徨います。

そして、とうとう営業に行けなくなりました。

 

自分の好きなことをして生きて行きたい。

好きなことをして。

好きなことをして。

好きなことをして。

 

毎日、念仏のように心に沸いて来ました。

でも営業に行かない自営業って。ニートです。

毎日ほとんど予定がありません。家族がいるのに。

それでも有り難いことに今までのお客さんからたまに仕事を頂いて何とか生きていました。

 

勿論、収入は激減!

でも一度上がった生活レベルってなかなか下げられないんです。

建築自営業の最後の年の年収は300万円くらい。

でもその年に出来た借金は1年で500万円くらいになりました。

銀行は勿論、高利の金融会社からも借りていました。

 

今なら300万円あれば3年は暮らす自信あります☆

でもその時は1年で800万円くらい使っていた計算になります。

今でもその頃のお金は何に消えて行ったのかよくわかりません。

 

何か知らんけどなくなってまう

 

関西弁で言うとそんな感じでした。

楽観的なバブル世代の甘さです。

 

39歳で痛風に。その時は体も痛くて動けず

歩合営業以外で月に50万円も稼げて、ずっと続けられるサラリーマンの仕事なんてない。

残された道はインターネットのみ。

 

2006年頃なので今ほどネットのレベルも高くなく

素人なりに必死でホームページの研究をしました。

 

インターネットで食べて行ければ、好きなことが出来る

好きなことがしたい!

このモチベーションだけで動いていました。

 

家でパソコンばかりいじっていると、家族が心配するので

毎日毎日ファミレスをはしごしてホームページを作りました。

 

痛風発症から3か月後の20064月。40歳の誕生日の1か月後には

ホームページが完成。その翌月にネットからの売り上げが30万を超え

その夏には利益で単月100万を超えました!

 

社会人になって初めて訪れたお金に対する安心感です。

これでもう安心!!大丈夫!!!

 

と思ったけど。。。

 

やっぱりネットの世界って早いです。

一瞬でライバル会社が出現します。

なので、このネットバブルも長くは続かず。

それでも少し節約すれば食べていけるくらいの収入にはなり続け

インターネット販売は僕にとっては相当心強い存在ではありました。

 

でもインターネットビジネスを始めたその1年後には別居。そして離婚。

離婚は自分以外のプライベートでもあるので詳しくは書けませんが

離婚を通して強く沸いてきた想いがあります。

 

それは、、、今在るものを活かす。

自分の心に正直に生きる。

シンプルに生きる

 

これらのことをいつも自然に意識していました。

 

その流れで自然に辿り着いたのが

それまでとは真逆の農的な自給的な生き方の方向でした。

建築ブローカーで職人仕事が何一つ出来なかった自分が

自分で農業倉庫を建てたり、お米や野菜を自給していくなんて

 

以前の自分には想像すら出来ないことでした。

そして、ここから先は吉之丞の想いと重なる部分が多いので、そちらに移ります。

▲高所恐怖症なので、へっぴり腰での手づくり小屋作業。